コンテンツへスキップ

焼き芋 十三里 [ とざり ] について

江戸の頃、甘味と言えば栗や柿でした。もちろん美味しいのですが、薩摩藩から持ち込まれたと言われるさつまいもは、江戸っ子が驚くほど甘かったそうです。
栽培しやすいさつまいもは、すぐに庶民でも手に入るほど広がり、秋の味覚の代表になったようです。

[ びくにはし雪中 ]
1858年制作,   廣重名所江戸百景 新印刷による (暮しの手帖社, 1991年)より

歌川広重の浮世絵「びくにはし雪中」には、右下に描かれた橋番屋に「十三里」「○やき」と看板が出ています。橋番さんの副業としてわらじや焼き芋を売っていたそうです。

「栗よりうまい十三里」は、当時江戸城下町から約50km(およそ13里)離れた川越から運ばれたさつまいものことを語呂で遊んだ言葉のようです。
「栗(九里)より(四里)うまい十三里(さつまいも)」
当時の距離と五七五での語呂、洒落が効いていてうまい言葉ですね!
そんな言葉から当店の店名「十三里(とざり)」をいただきました。ちょっと読みにくいかもしれませんが、その分印象に残るかと思い、この読み方にしました。

ちなみに…
左側に描かれた看板の「山くじら」はイノシシ肉のことです。つまり牡丹鍋ですね。
江戸の頃は肉食はなかったと思われがちですが、贅沢なだけであって、結構食べていたようです。世間体的に「肉を食べよう」とは言えず、滋養をつけに行くと言い訳して食べたそうです。

城下町では、流行によってそこかしこで焼き芋屋が立ち並ぶわけですが、そのうち「うちの焼き芋はそこの「十三里」より旨いから「十三里半」だよ!」といって売っているお店もあったそうです。
当店は駆け出しのひよっこ。もちろんまだまだ他店よりも旨いよとは言えないですが、いつの日か「とざりはん」と呼ばれるよう、これからもさつまいも・焼き芋を追求していきたいと思います。

そして、当店の本体は 株式会社紙舘島勇 と申します。
和紙の専門店として、大正10年(1921年)創業で、和紙にこだわって営業してきました。
創業100年を迎えようという年にコロナで世界が変わりました…
一つの事業だけではなかなか続けていけないと考え、2023年に新たな事業を始める決意をしました。
それが焼き芋屋です。
本体の屋台骨を支えることができるかはわかりませんが、新たな時代を引き込むきっかけぐらいにはなると考えています。

本店の屋号紋(お店の家紋)が少し菱形の井桁なのですが、十三里ではそこに芋の蔓をあしらいました。井桁に芋蔓とでも申しましょうか…

焼き芋 十三里 [ とざり ] は、そんな理由から紙舘島勇の駐車場奥に工房を構えて、製造販売しております。
駐車場は島勇と共有しておりますので、空いていればお使いいただけます。
ぜひ島勇へお立ち寄りの際は十三里へと、十三里へお立ち寄りの際は島勇へと足をお運びくださいますようお願い申し上げます。

株式会社紙舘島勇 代表取締役社長
焼き芋 十三里 [ とざり ] 店主
伊藤 慶